1999年2月16日、ピレネーの麓の町LOURDES(以下ルルド)を訪ねた。4月2日のクリニック開院を目前にして、右上がりの多忙曲線を描こうとしている最中、家内に全権を託して、真冬のパリに着いたのは、その4日前だった。公園の水溜まりは、終日凍ったままという寒さで、夜には、街灯の明かりに小雪が舞った。まだ見ぬピレネーの麓の町の寒さを予感するのに充分だった。

 カトリックの聖地として有名なこのルルドには、奇跡の水で、病から解放されたいと願う人々やカトリック信者、観光客が毎年、世界中から訪れる。奇跡が本当か否かはともかく、その癒しに人々が集う理由・本質に触れたいという気持ちに抗しきれなかった。私にとって、一開業医としての礎になると確信してのことでもあった。

 朝8時5分、パリ、モンパルナッス駅から憧れのTGVに乗り、ルルドに向かったとき夜来のみぞれ混じりの雨で、パリ郊外は朝もやと曇天に包まれ、聖地への旅立ちへのある種の序曲のように感じた。のんびりとした車窓の風景を眺めているうちに、ときおり耳に心地よいフランス語の車内放送があるくらいで、しゅくしゅくとして、時が過ぎ、5時間25分の旅は終わった。午後1時30分、想像していたよりも、はるかに近代的な駅に着いた。

 出迎えてくれたのは、激しい横なぐりの雨だった。チョー バッド!気分転換、腹ごしらえをと、ハンバガーショップに入ると、お婆さんに近いおばさんと頬紅、口紅、厚化粧のお兄さん?が笑顔で迎えてくれた。テイクアウトに方針を変えて、雨のなかのホテル探し。
 日本で予約して行ったにもかかわらず、見つけるのにやや難渋。
  Hotel NOTRE-DAME DE SARRANCE

 ホテルは、廊下を歩くと自然のうぐいす張りで、中庭からは無情の雨音が聞こえてくる。こんな真冬には、巡礼も、誰も、来ないよと雨音が冷たく?論してくれた。ともかく、気を取り直して、マサビエルの洞窟と奇跡の泉をめざして、どしゃぶりの中、聖域へ観光ならぬ敢行したものの、ホテルの老主人から物好きな、信心深い?日本人と同情をかっただけでずぶぬれ玉砕に終わった。おかげて翌朝のクロワッサンの数が増えた…

 この青年?の気分転換は早かった。(取柄はこれしかない)午後7時再度出発。雨はなお降り続いていた。聖地までは、なだらかな下り坂になっていて、ホテル、みやげもの屋が道の両側に立ち並んでいるが、シーズンオフで、ほとんどの店が閉まっていた。下りきって、橋を渡ると聖域になる。橋の途中に展望用?の少し広いスペースがあり、下を流れるポー川の川面に見とれているうちに、雨が止んでいた!(のに気がついた)。

 夜空に雲が流れて、いつのまにか星がまたたいていた。橋の下を流れるポー川の水量は豊かで、水音が心地よい。シュペリウール寺院の鐘の音があたりにしみわたる。広場にゆくと、ろうそくの灯りのむこうにお祈りをするひとのシルエットが見える。名鐘の音、ピレネーから流れきた恵みの瀬音、澄みきった夜空の星々、広い寺院に点在する彫像、折り人の影、マサビエルの洞窟の中空に姿をみせるマリア像、そこには確かにひとつの癒しのスペースが実現されていた。かつて、「人間、その未知なるもの」という書物を通じて、語りかけてくれたアレキシス・カレルの著書に「ルルドへの旅・祈り」という小品があり、いつの日か同じように旅をしたいと思い続けてきた。その何十年もの思いが、奇跡とも思えるほどの雨あがりの感激と重なって、泉の前で立ちつくしてしまった。私はキリスト教徒ではないけれど、この聖域の空間の魅惑的な晴朗さに深い感銘をうけた。

 午後8時を過ぎたころから、広場の中央に、灯りを手にした人々が集まってきた。静かに、いつのまにか、どこからともなく。車椅子に座ったひともいる。祈りの歌声があがった。整然とした列になり、奇跡の泉にむかって、歩みはじめた。「アーベ、アーベ、アーベマリーア」の合唱の歌声があたりにしみわたった。いつまでもいつまでも心に残った。真冬の夜なのに、あたりには暖炉のような暖かさがあった。
 
 その夜、私は、かって経験したことのないこころよい爽やかさのうちに眠りについた。

 …この夜のことを毎日反すうしながらの診療していますが、日々反省することも多く、滑落しないよう、足元を見つめて、しかし理想は見失わず、一歩一歩踏みしめて歩いて生(行)きたい…と願っています。